『ヤバい経済学』『超ヤバい経済学』 振り返りと要点

 

 

紹介

「道徳」が理想の社会を表すものなら、「経済」は現実の社会を表すものである。

 

ヤクの売人はなぜ母親と一緒に住むのか?

相撲に八百長がないなんてほんと?

プールと銃はどちらが危険?

アメリカで凶悪犯罪が減ったのはなぜ?

 

などなど、データをもとに社会の現実を考察する「裏」経済学を紹介する。

振り返り

2冊とも非常に刺激的な話題を扱っており、夢中になって読める本だった。

 

単なる経済理論を紹介する本ではなく、データから読み取れる社会の本当の姿を照らしだしている。

 

その過程にはミステリー小説の推理シーンのようなワクワクがあった。

 

ただ、アメリカンジョークなのかわからないが、冗長な文章や必要性がわからない個人についての紹介などが長い点は残念だった。

 

また、結論がなかなか書かれず、各章のタイトルとの関係が不明であるように感じられる話題も長い。

 

結論ファーストの重要性がわかる本でもある。

 

 

データから読み取れる「道徳的でない」社会の姿をきれいごと抜きで語る面白さは、ひろゆき本にも通じるものがあると思う。

 

ただ、詳細な実験の解説やデータを並べながら解説されている点は、文章のみで要点を記述するひろゆき本とは異なっている。

 

個人的には、各章のまとめを最後に書くなり、冒頭に要点を述べてから詳細な解説に入るなり、もっとわかりやすい記述があるのではないかと感じてしまった。

 

 

 

人はインセンティブで動く

シリーズを通した主題は、「人はインセンティブで動く」というものだ。

 

相撲の八百長も、教師の不正も、凶悪犯罪も、引き金となっているのはインセンティブだ。

 

 

日本でサービス残業が当たり前になっていることもインセンティブで説明できる。

 

サービス残業をさせても残業代の支払いを求める人は少なく、まして労基署への通報や訴訟にまで踏みきる人はもっと少ない。

 

10人にサービス残業をさせて100万円の利益が出るなら、数人に残業代の支払いを求められて50万円支払ったとしても利益が出る。

 

つまり、企業にはサービス残業をさせるインセンティブがあるのだ。

 

これがもし、「サービス残業を命じたことが立証されれば管理職と社長は死刑」という法律があったら、サービス残業は一夜にしてなくなるだろう。

 

自分が死んでまで企業の利益を増やそうとする人間はいないからだ。

 

あるいは、「サービス残業を命じられた社員は2億円の賠償を企業に請求できる」という法律があってもサービス残業はなくなるだろう。

 

サービス残業を命じられた瞬間、夢の早期リタイアが実現するのだから、すべての人が喜んで訴訟を起こすはずで、そうなっては企業にとってサービス残業をさせるメリットはないからだ。

 

 

逆に、最近話題になっているDXだのテレワークだのフレックスタイムだの、そういった「働き方改革」といわれるようなものは、サービス残業を改善することはない。

 

それらは生産性を向上させるものであり、サービス残業で企業が得られる利益を100万円から200万円に増やすものだ。

 

あなたが経営者なら、生産性の向上を労働時間の短縮として働く側に還元するより、引き続きサービス残業をさせてより大きな利益を追求するのが経済的に合理的だ。

 

生産性の向上で長時間労働が解決すると思っている人は、企業側のインセンティブについて考えが足りていないと言える。

 

 

サービス残業を減らすために必要なのはDXでもテレワークでもフレックスタイムでもなく、あくまで「労働基準法違反の厳罰化」なのだ。

 

 

 

中絶が凶悪犯罪を減らした

もっとも印象にのこっている内容が、「中絶によって凶悪犯罪が減少した」というものだった。

 

妊娠中絶に反対する人や、胎児の人権を主張する人にとっては許しがたい、まさに「不道徳」なテーマだ。

 

 

アメリカで凶悪犯罪の多発が社会問題になっていた頃、「10年後には血の雨が降る」と言われるほど状況の悪化が危惧されていた。

 

しかし、そうした予想に反して犯罪は急激に減っていったのだ。

 

犯罪の減少については、経済状況の改善や治安維持の取り組みなど、様々な要因が考えられる。

 

しかし、それらの要因が急激な犯罪減少を説明しきれないことから、著者はさらなる分析を試みた。

 

その結果、「中絶が合法化してから生まれた子供たちが最も犯罪率の高い年代になったころに犯罪が減少した」という事実に気が付いたのだ。

 

 

中絶を希望する母親は、「未婚」「貧困」「10代」「低学歴」といった要素を持つ傾向がある。

 

そして、そうした要素を持つ親に育てられた子供は、そうでない子供に比べて犯罪者になる確率が高い(あくまで「確率」)ことを示すデータがある。

 

つまり、「中絶の合法化によって犯罪者になる確率が高い子供たちが生まれなかった」ため、犯罪が急激に減少したという結論が導き出されるのだ。

 

 

 

中絶を禁止すれば胎児の命は救われるが、その子供は遠い将来に犯罪で誰かの命を奪うかもしれない。

 

そんな事実が、「命とはなにか?」「人権はいつ発生するか?」という神聖なテーマが中心だった中絶の是非をめぐる議論に、新たな視点が必要であることを示したのだ。

 

 

 

人間は恐怖の対象を間違える

子供にとって銃とプール、どちらが危険か?

 

若干のネタバレになるかもしれないが、本の中で紹介されていた話の結論として、プールが1.1万個あたり1人が死亡するのに対し、銃は100万丁あたり1人が死亡する。

 

つまり、子どもの身の安全を心配するなら、社会にあふれる銃を恐れるより、庭にあるプールを恐れるべきというのが統計的な答えだ。

 

これは人間の感覚とはだいぶ異なった事実だが、同じような例として飛行機と自動車の死亡率の話がある。

 

9.11の直後に飛行機に乗る人が大幅に減ったことは有名だが、乗っている時間を考慮すると飛行機の方が自動車よりはるかに安全というのが統計的な事実だ。

 

さらに驚くべきことに、飲酒運転で死亡する確率(それが運転手であれ歩行者であれ)より、酔っぱらって千鳥足で歩く方が死亡率は高い。

 

僕たち人間が感じる恐怖は統計的に合理的でないものが多いのだ。

ワクチンの副反応問題を考える

人間の感じる恐怖は統計的に合理的でないものが多い。

 

そのことを踏まえて新型コロナワクチンの副反応問題を考えてみる。

 

 

一般的にワクチンを推奨する人たちが主張するのは、

 

「新型コロナに感染するリスクの方が、ワクチンの副反応のリスクより深刻だ」

 

というものだ。

 

これはたった一つの前提の下で、「統計的に正しい」と言えるだろう。

 

その前提とは、「統計に嘘がない」ということだ。

 

 

新型コロナウイルスのワクチン接種後の死亡について、「ワクチンとの因果関係が証明された」という事例は、2022年1月9日現在、ネットで調べる限り日本では1例もない。

 

接種後の死亡については、大半が「因果関係を評価できない」とされているようだ。

 

厚生労働省のサイトにおいても、「ワクチン接種後に死亡したことは、必ずしもワクチンが原因で死亡したということではない」といった内容を述べている。

 

www.cov19-vaccine.mhlw.go.jp

 

要するに、「人はいつか死ぬもので、それがたまたまワクチン接種の直後だったんじゃね?ドンマイ!」と言ってるのだ。

 

もちろん、実際にたまたま寿命を迎えたというパターンも少なからずあるのだろう。

 

しかし、「ワクチン接種と接種後の死亡の因果関係は証明されていない」というのは、「ワクチンが原因で死亡した人もいるかもしれない」と考えることもできる。

 

それにもかかわらず、「ワクチン接種が原因で死亡したと認定された人はいないのだから、ワクチンは安全だ」と主張する国や医師たちを、果たして信頼できるのだろうか?

 

統計を消しゴムで消して書き変えたり、公文書を不正に廃棄したりする国を信頼できるのか?

 

国民には外出自粛を呼びかけているのに、自分たちは愛人と寿司デートをしたり友達とバーベキュー(しかも日本より状況が深刻なアメリカで)をしたりする医師たちを、本当に信じていいのだろうか?

 

ワクチンの副反応問題は、ワクチンそのものへの恐怖というより、統計を取る側への不信感が原因なのではないか?

 

統計や数字は嘘をつかないが、嘘つきは統計や数字を使うのだから。