二宮金次郎は日露戦争でブームになり、太平洋戦争で兵器になり、現代は座る

 

 

 

 

薪を背負いながら読書をする姿で知られる二宮金次郎(二宮尊徳とも)。

 

彼は「節約と貯蓄」を中心とする農民への生活指導を通じて、農業経営の立て直しや農村復興を図りました。

 

そのメソッドは「報徳仕法」と呼ばれています。

日露戦争後のブーム

さて、この報徳仕法ですが、日露戦争後(1905年頃)に爆発的なブームを迎えることになります。

 

二宮金次郎が亡くなった1856年から50年も経ってブームが到来したわけです。

 

その理由は、日露戦争で賠償金が全く手に入らなかったことです。

 

日露戦争では100万人の兵士が中国大陸に派兵され、莫大なの犠牲と戦費を払って辛うじて勝利を収めました。

 

それにもかかわらず賠償金が1円も獲得できなかったたことや、多くの若者が戦死したことで人手不足となった農村は疲弊したのです。

 

これを立て直すために政府が利用したのが報徳仕法でした。

 

政府は国民に勤勉や倹約を説くとともに、報徳仕法を取り入れて地方改良運動を展開したのです。

 

また、薪を背負いながら読書する二宮金次郎の銅像が誕生したのもこの時期だったようです。

太平洋戦争で兵器になる

昭和になって日中・太平洋戦争が勃発すると、再び国民の生活は苦しくなりました。

 

そこで金次郎の精神にならって倹約生活に耐えようと、金次郎像は量産されることになります。

 

しかし、物資の不足が深刻になると銅で作られた金次郎像は回収され、鋳つぶされて兵器などになりました。

 

倹約の象徴すら溶かされて武器に使われたというこのエピソードは、いかに当時の日本が苦しい状況だったかを示していますね。

現代の金次郎は座る

近年も金次郎像をつくって設置する学校もあるようですが、そのスタイルは現代に合わせて変わっているようです。

 

歩きスマホが問題視されるなか、薪を背負って歩きながら本を読む銅像は不適切ということで、座って読書する金次郎像が作られているそうです。

 

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座る二宮金次郎像

薪を背負いながら座る像もあれば、上の画像のように薪を下ろして座る像もあります。

 

それなら仕事が終わってからゆっくり読書すればいいじゃないかと思うのですが、そんなツッコミは野暮というものかもしれませんね。

 

*参考はこちら