社会人になると児童文学を読む機会はほとんどありませんが、そのなかには現代の社会問題に通じるテーマが描かれている作品がたくさんあります。
そういった作品を大人になってから読むと、子供の頃に読んだときとはまた違った感動や発見があり、とてもおもしろいものです。
新美南吉もそのような作品をいくつも書いており、『おじいさんのランプ』はその一つです。
『おじいさんのランプ』が描くテーマ
『おじいさんのランプ』が描くテーマをひと言で表すなら、
「新しい技術を受け入れ古い産業と決別すること」
です。
以下に簡単なあらすじを書いてみます(ネタバレ注意)。
物語はおじいさんが自分の若い頃の話を孫に聞かせる形で進んでいきます。
おじいさんは若い頃、となり村で初めて見たランプを自分の村で売る商売を始め、財産を築きます。
しかし、数年後にとなり村に行くとそこには電気が通っており、もうランプを使う人はいませんでした。
「ランプの時代は終わったんだよ」
となり村の人のそんな言葉を聞いても、おじいさんは自分が売り続けてきたランプが世の中に不要なものになったことを受け入れられません。
「電気なんて電柱やら送電線やら、邪魔なものばかりだ!」
そう考えたおじいさんは自分の村でランプを売る商売を続けますが、思っていたよりもずっと早く自分の村にも電気を通すことが決まってしまいます。
不満が爆発したおじいさんは村に電気を通す決定をした責任者の家に放火しようとしますが、マッチの代わりに持ってきた火打石の不便さにいらだち、
「こんな古い道具は役に立たない!」
とつぶやきます。
その言葉にハッとしたおじいさんは火をつけるのをやめ、家に帰って在庫として持っていたランプをすべて割ります。
そしてランプを売る商売をやめ、新しい商売を始めることを決意しました。
古い産業を捨てる難しさ
おじいさんはランプが時代遅れになってもその事実をなかなか受け入れられませんでした。
それはそうですよね。
おじいさんがとなり村で初めてランプをみたときの感動は強烈なものだったからです。
まだ村では夜になるとろうそくの火だけが頼りだったころ、周囲を明るく照らすランプがおじいさんの目にはとても素晴らしい発明品として映ったのです。
そんなランプを村で売り、村の人から感謝されながら商売が大成功したおじいさんにとって、
「ランプはオワコン」
という事実が簡単に受け入れられないのは当然です。
そんなおじいさんの目に電気やそのための設備が優れた技術として映らなかったのは当たり前ですよね。
古い技術や産業は、愛着や思い入れが強いほど失われてほしくないものです。
自分が愛した技術が、思い入れのある産業が、ある日突然、新しい技術によって「オワコン」の烙印を押されるのはとてもつらいことだと思います。
『おじいさんのランプ』とハンコ問題
『おじいさんのランプ』を読んだとき、僕の頭に浮かんだのは「ハンコ不要論」です。
デジタル認証の技術が進んでいる中、ハンコの存在はむしろ事務手続きの煩雑さ、不便さの原因となることが多く、「オワコン」として社会からの退場を求める声が強くなっています。
マイナバーという制度も整えられ、金融資産も学歴も既往歴も、個人情報のすべてが(理論上は)オンラインで管理することが可能になりつつある今、ハンコは不要なものになりつつあるのです。
しかし、ハンコに思い入れのある人がたくさんいるのもまた事実です。
高齢者を中心にデジタルデバイスを使いこなせない人もたくさんいて、そういう人たちにとってハンコは今でも「あったほうが便利なもの」であり続けています。
ハンコづくりの技術を磨くことに人生を懸けてきた職人さんもたくさんいます。
こういった現実の中で僕たちの社会はどのように「ハンコ」という古い産業に決別し、「デジタル認証」という新しい技術を受け入れていくべきなのか。
ハンコ問題とは単に技術の進歩を拒む既得権益と闘うだけではなく、根幹にある人間の精神に目を向けなくてはならないという視点をもつきっかけになる一冊でした。