ひろゆきブームと「論破」する若者~論破は悪なのか?~

 

 

 

「2ちゃんねる」の創設者で、現在はYouTuberやテレビのコメンテーターとしても活躍する”ひろゆき”こと西村博之さん。

 

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”ひろゆき”こと西村博之さん

 

数々の名言で知られ、「それってあなたの感想ですよね?」「なんかそういうデータあるんですか?」といった言葉は、多くの人が一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?

 

ちなみにこの2つの名言は、具体的なデータを示すことなく

 

「インターネットの普及によって愚かなことをする人が明らかに増えた」

 

「インターネットによっていじめが増えた」

 

といった主張をする人に対してのものでした。

 


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2ちゃんねるやニコニコ動画といったサービスに携わったインターネットの専門家として、根拠なくインターネットを批判されることが許せないという気持ちから生まれた名言なのかもしれないですね。

ひろゆき人気と「論破」ブーム

そんなひろゆきさんですが、豊富な知識をもとに社会問題や時事ネタに対する独自の見解を述べたり、様々な分野の専門家と議論したりする「知識人」としても注目を集めています。

 

その人気ぶりは凄まじく、最近では小学生が街中で「それってあなたの感想ですよね?」と口にするほどです。

 

 

まさに”ひろゆきブーム”が到来しているわけですが、それとともに広まっているのが「論破」ブームです。

 

ひろゆきさんが専門家と議論をする中で、専門家が答えに詰まる様子を「ひろゆきが論破した」ととらえ、その姿にあこがれる若者が増えているのです。

 

憧れるだけなら問題はありませんが、ゼミの発表や会社の会議で「なんかそういうデータあるんですか?」などと問い詰め、答えに詰まる姿を見て勝ち誇った顔をする人が問題視されています。

 

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「ロジハラ(ロジックハラスメント)」という言葉があるように、日本社会では論理で人を詰める姿勢はあまり好まれません。

 

「和」を重んじ、「協調性」が求められる日本社会で、ひろゆきさんの真似事で「論破」をしたがる人が煙たがられるのは仕方ないことなのかもしれません。

 

 

「論破」は相手のプライドを傷つける

「俺は議論はしない。議論に勝っても人の生き方は変えられぬ。」

 

幕末の志士、坂本竜馬はこんな言葉を残したといいます。

 

この言葉に関して、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』ではこのような記述があります。

 

「竜馬は議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬといいきかせている。もし議論に勝ったとせよ、相手の名誉を奪うだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと持つのは負けた恨みだけである」

 

 

議論をして相手を負かしたところで、相手が心の底から考えを改めることはほとんどなく、むしろ自分に対して恨みを持つだけであるということです。

 

これは多くの人が実感する事実ではないでしょうか?

 

論理で説得しようとしても頑なに自分の非を認めず、話を聞こうとしなかったり、ひどい場合には感情的に怒り出す。

 

学校や会社でそんな人を一度は見たことがあるでしょう。

 

そして厄介なことに、周囲から「賢い」「優秀」と評価されている人であるほど、あるいは組織やコミュニティの中で高いポジションにいる人であるほど、論破されることでプライドが傷つきやすいものです。

 

こういった現実を考えると、論破よりも歩み寄りが必要な場面もたしかに存在すると言えます。

日本社会にはロジック重視の姿勢が広まるべき

確かに、現実の社会では論破して相手を打ち負かすより、妥協点を探る「歩み寄り」が必要な場面もあります。

 

しかし、日本社会はもっとロジックを重視するべきだと思う場面も多々あり、コロナ禍で多くの人がそれを実感したのではないでしょうか?

 

例えば東京都の小池知事による新型コロナウイルス感染拡大防止のための「要請」には、多くの人が疑問を抱いたはずです。

 

小池都知事は、「夜の人出を減らす」という目的で20時以降の看板やネオンの消灯を要請したり、「人流を抑えること」を目的に鉄道会社に減便を要請したりしました。

 

当然、「ネオンを消しても人は出歩くのでは?」「電車の本数を減らしたらむしろ密集度が高まるのでは?」という疑問の声が上がりましたが、知事が明確な返答をすることはありませんでした。

 

もしも小池知事やその周辺の人がロジックを重視する人であったなら、こうした謎の要請をすることはなかったでしょう。

 

ロジックを重視しない社会ではこうした理解不能な事態が頻発し、最終的に被害を受けるのはそこに暮らす人々です。

 

日本がよりよい社会をめざすなら、「ロジック重視」という姿勢は必ず必要になるのではないでしょうか?

 

 

ひろゆきは「論破」してるのか?

ひろゆきさん自身、「『はい論破!』と言ったことはない」と様々な場面で繰り返し述べています。

 

 

データや事実をもとにロジックを組み立て、専門家を返答に困らせるひろゆきさんの姿は、確かに「論破している」ようにも見えます。

 

しかし、アベマプライムという番組でMCを務めるひろゆきさんの発言をよく聞くと、実は「論破」を目的に議論をしているわけではないことが分かります。

 

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ひろゆきさんは議論の中で、単に事実をもとに疑問を投げかけたり、自説と相手の主張の相違点を確かめるための質問をしたりしているだけなのです。

 

そうした問答を繰り返すなかで、専門家といえど答えられない部分が出てくることもあります。

 

その際に、「それについてはまだ分からない」「それを裏付けるデータはない」と素直に認める専門家には、ひろゆきさんがしつこく追及することはありません。

 

一方で、相手が自説を守るためにあやふやな事実を根拠として挙げたり、データに基づかない「感想」を述べたりする場合は、

 

「それは誤りではないのか?」

「なぜこの人はそう考えるのか?」

 

という点が明確になるまで質問を続けます。

 

その結果、専門家が答えに詰まってファシリテーター(平石アナ)が助け舟を出さざるを得なくなったり、専門家が勝手に自滅したりするケースもあります。

 


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そうした議論の様子が視聴者の目には「論破」として映っているに過ぎない、というのが答えでしょう。

 

ひろゆきさんが「論破」について語った放送回はこちら。

 

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「論破ブーム」は歓迎すべきもの

ひろゆきさんに対する人々の勝手なイメージが独り歩きして始まった論破ブームですが、僕は悪いものだとは思いません。

 

確かに、現実社会で「ハイ論破!」と勝ち誇った顔をする人は、周囲の人を不快にする側面もあるでしょう。

 

しかし、「論破できる」ということは「正しいことを言っている」という証明でもあります。

 

今の日本にはブラック校則や違法労働など、多くの人が「間違っている」と感じながらもなかなか現実を変えることができない閉塞感がありますが、

 

「なんとなく正しそう」とか

「今までもこうだった」ではなく、

 

「こういう理由で正しい」

「こういう理由で間違っている」

 

という論理をもとに社会が動くようになれば、そんな閉塞感も無くなっていくのではないでしょうか?

 

論破ブームがそのきっかけになることを期待しましょう。