『戦前日本の安全保障』要点まとめと現代に活かせる教訓

 

 

 

 

『戦前日本の安全保障』は、二つの世界大戦の間の期間において日本の政治の中心だった4人の政治家・軍人の安全保障構想を解説した本です。

 

 

その4人とは、

 

山県有朋(やまがたありとも)

原敬  (はらたかし)

浜口雄幸(はまぐちおさち)

永田鉄山(ながたてつざん)

 

のことです。

 

4人がそれぞれ考えていた構想についてまとめてみたいと思います。

山県有朋の構想

山県は、国際秩序とは力の論理が支配するものであり、日露同盟による東アジアでの新たね勢力均衡の創出を目指していました。

 

その勢力均衡とは、中国における日本の勢力拡大を前提としたものでした。

 

長期戦略としては、大陸での勢力圏拡大を背景に欧米列強と肩を並べ、軍事強国となることを目指していました。

 

しかし、ロシア革命によって帝政ロシアが倒れると日本は国際社会で孤立し、山県の構想は崩壊しました。

原敬の構想

原の構想は山県とほぼ同じでしたが、必要最小限の戦力を保持しながら米英との提携を見据えたものという点で、山県の構想と異なります。

 

そして、米英との協調の中で平和的な交易型産業国家を目指そうとしましたが、第一次対戦後に国際連盟ができると、原は新たな道を模索し始めます。

 

それは、対米提携と連盟による集団的安全保障を組み合わせたものでした。

 

しかし、創設まもない国連はそれほど頼れるものでもなく、原自身も新たな安全保障システムを模索する道なかばで暗殺されてしまいます。

浜口雄幸の構想

原の構想を継承して発展させようとしたのが浜口です。

 

軍縮の中で対米英協調と国連による集団的安全保障を基本にした新たな安全保障システムを模索しました。

 

連盟による集団的安全保障体制の不十分さを、東アジアにおける9ヵ国条約などの軍縮や平和維持に関する条約によって補完することを考えていました。

 

同時に、国連による集団安全保障を軸として、パワー・ポリティクスに代わる新たな国際秩序の構築も考えていました。

 

しかし、世界恐慌による国際的混乱や浜口が狙撃されたこと、陸軍による満州事変や国連脱退などによって、その構想は挫折してしまいました。

永田鉄山の構想

永田は国連の実効性について疑念を抱いており、国際社会はあくまでもパワー・ポリティクスによるものとして捉えていました。

 

そのため、連盟は次の世界大戦を防ぐことはできないと考え、次の大戦に向けた軍備の機械化や工業生産力の拡充を図りました。

 

また、戦時における国家総動員の態勢構築や資源自給の目処を立てることが必須であるとも考えていました。

 

特に資源については、中国大陸からの確保が不可欠であると考えていました。

 

満州事変はそうした背景による工作だったのです。

 

しかし、永田も暗殺されたことで彼の構想はさまざまに分岐し、太平洋戦争へと繋がっていきます。

 

 

 

現代に活かせる教訓やら感想やら

「国連によって世界の平和は維持されているか?」

 

そう聞かれて「NO」と答えるのは僕だけではないでしょう。

 

クリミア半島はロシアがウクライナから奪って占領したままですし、イラクに大量破壊兵器があると嘘をついて侵略したアメリカは、特に制裁を受けているわけではありません。

 

イランや北朝鮮のように実際に大量破壊兵器を持っている国であれば、小国であっても超大国アメリカと対等に交渉できているという現実もあります。

 

結局、力のある国は好き勝手なことをしても基本的には許されてしまうのが今の世界なわけで、国連はそれを止めることができていません。

 

 

永田鉄山は国際連盟の実効性に疑問をいだき、世界大戦は防げないという予測のもとで軍備の拡充や国家総動員体制の整備を進めました。

 

そうした動きが結果的に世界大戦につながったという見方もできますが、それは鶏が先か卵が先かという話で、あまり意味はないでしょう。

 

当時の国連に世界大戦を止める力がなかったことは事実であり、軍備の拡充にせよ同盟の強化にせよ、各国は自衛のために何らかの行動をとる必要がありました。

 

そして、それが今の世界でも変わらないということは、先に述べた例からもわかるでしょう。

 

日本は中国・ロシアという2つの国連安保理常任理事国と、核兵器を所有する独裁国家・北朝鮮と近い位置にあり、それらの国々との関係は良好とは言いがたいです。

 

とりわけ領土拡大の野心を隠さない中国の脅威は強烈で、アメリカがアジア・太平洋地域への関心を失って撤退していけば、いつ中国の侵攻が始まっても不思議ではありません。

 

日本ではあまり知られていないことですが、まだアメリカがアジア・太平洋地域へ存在感を示していなかった1988年に、中国はベトナム兵64名を殺害して島を占領しています。

 

アメリカがアジア太平洋地域への関心を失えば日本が危ないというのは、妄想でも何でもなく、歴史の事実から考えられる当然の予想なのです。

 

 

中国が国連安保理の常任理事国である以上、中国の日本侵攻が起きた場合、国連がその動きを止めることは期待できないでしょう。

 

かといって、中国を相手に日本が自力で勝利するというのも現実的ではないでしょう。

 

中国と日本では、国防費も人員も所有する戦闘機や軍艦の数も、圧倒的に中国が勝っているからです。

 

であれば、日本の安全保障はアメリカとの同盟関係を維持することが最重要であるとともに、アジア太平洋地域の国々との協力関係を築く必要もあると思います。

 

アメリカとの同盟だけを頼りにしていては、アメリカの心変わり一つで日本の安全保障は揺らぐことになるからです。

 

アメリカにとって中国はしょせん、太平洋を挟んだ遥か遠くの国です。

 

日本をはじめとするアジア諸国とは脅威の感じ方が違います。

 

日本と同じように中国の脅威を感じているアジア諸国との集団安全保障の枠組みを構築することで、日本の安全保障はより強固になるはずです。

 

 

 

というわけで、『戦前日本の安全保障』の内容を参考に考えるならば、現代の日本がとるべき戦略は、浜口と永田の案を足して2で割る感じでしょうか。

 

浜口には「軍縮」という判断ミスが、永田には「周辺諸国との対立を深めた」という判断ミスがあったように思います。

 

浜口が構想したように、大国との協力関係を強化しつつ、アジア諸国との新しい安全保障の枠組みも用意する。

 

永田が構想したように自国の防衛力を強化し、軍備拡大を続ける中国から領土を守れる戦力や法制度を整備する。

 

2人の構想のいいとこどり戦略というのが、現代の日本の国防には必要だと僕は考えています。