『世界史の極意』 アナロジカルに世界を見ることの重要性

 

 

紹介

歴史はひとつではない!著者初の世界史入門。ウクライナ危機、イスラム国、スコットランド問題……世界はどこに向かうのか。戦争の時代は繰り返されるのか。「資本主義」「ナショナリズム」「宗教」の3つの視点から、現在の世界を読み解くうえで必須の歴史的事象を厳選、明快に解説! 激動の2015年を見通すための世界史のレッスン。

振り返り

灘高生との対談シリーズと同じく、佐藤優氏の圧倒的な知識を見せつけられる1冊だった。

 

www.bokurano-jishu.com

 

 

『世界史の極意』における重要な論点を挙げるなら、以下の3つだろう。

 

  • 歴史はアナロジカルに見るべし
  • 世界史における3つの必須テーマ
  • 他人の視点に立つ重要性

 

この3つの論点について、「大まかな歴史の振り返り」を交えながら説明している本であると言えるだろう。

 

あくまで世界の動きを予想していく上でどのように世界史に向き合えばいいかを指南する本であり、世界史を概説する本ではないので、その点は注意されたい。

 

 

とはいえ、「大まかな歴史の振り返り」が十分に高いレベルの知識を扱っていると思う。

 

世界史を今まさに履修している現役の高校生ならついていける知識だが、世界史の学習から長期間離れている社会人には少しきつい部分があるかもしれない。

 

ただ、知識の欠損があってもこの本が伝えたいメッセージは問題なく受け取れるので、世界史の知識に自信がない人にもお勧めできる。

 

各章の終わりには、章のテーマに関する参考書が紹介されているので、そうした本を読んでからこの本を読みなおすと、一層理解が深まるだろう。

歴史はアナロジカルに見るべし

歴史は繰り返すが、全く同じ形では繰り返さない。

 

その繰り返しに気づくためには、歴史をアナロジカルに見る必要がある。

 

「アナロジカル」とは物事を抽象化し、類推(アナロジー)を用いて構造的に類似した他の事柄に当てはめて考える方法のことだ。

 

ざっくりした言い方をすれば、「あれと似てるな」と気づくための思考法だ。

 

 

佐藤氏は、現在(2015年出版)の世界の状況は第一次世界大戦の前の状況と似ていると指摘する。

 

資本主義のグローバル化、覇権国家の弱体化、保護主義の台頭など、現在の世界の動きには世界大戦の直前期と同様の動きがみられる。

 

そうした動きをとらえるためには、アナロジカルに世界史をとらえる必要があるということだ。

 

 

また、アナロジカルに考えるからこそ相違点にも気づくことができる。

 

佐藤氏は現代を、帝国主義の時代と類似した新しい時代、「新・帝国主義の時代」と表現している。

 

しかし、新・帝国主義の時代と、世界大戦期のころの帝国主義では相違点がある。

 

一つは、植民地を求める国がないことだ。

 

外部からの搾取と収奪によって生き残りを図るという帝国主義の本質や行動様式は変わらないが、なぜ植民地を求める国がないのか?

 

それは植民地を維持するコストが高まったからだ。

 

植民地化するよりも、安い労働力を提供する生産拠点として企業が進出するだけの方がコストは安上がりということだろう。

 

また、全面戦争核兵器の存在が全面戦争への大きな躊躇を各国にもたらしている点も異なる。

 

その代わりとして、局地的な戦闘や代理戦争という構図が生まれるのだ。

 

 

アナロジカルに世界史をとらえることは、過去の時代の共通点と相違点を洗い出し、未来を予測するために必要不可欠だ。

 

 

 

世界史における3つの必須テーマ

世界史を学ぶ上で必須のテーマが、「イデオロギー」「宗教」「ナショナリズム」だ。

 

この3つのテーマは世界史を大きく動かすものであり、現在の世界が抱える問題を考えるためには必要な知識だ。

 

例えば、なぜウクライナにはEU加盟を目指す勢力と親ロシア勢力がいるのかを理解するためには、「民族」というテーマでウクライナを見るなくてはならない。

 

「民族」について考えると、「宗教」が重要な要素になってくる。

 

2022年1月現在も続くロシアとウクライナの問題を知るためには、民族や宗教についての知識が不可欠だ。

 

 

あるいは日本のサラリーマンが経済的に救われない理由も、イデオロギーの視点から考えるとわかりやすい。

 

少子高齢化やらIT化の遅れやら、日本人の給料が30年以上横ばいになっている理由は様々語られる。

 

しかし、イデオロギーの視点からは、「冷戦終結によって社会主義革命のリスクがほぼなくなったから」という簡潔な答えが見えてくる。

 

資本主義と社会主義が強く対立した時代には、国家は社会主義革命を恐れて福祉政策や失業対策といった、利潤追求を阻害するような政策もやむをえなかった。

 

しかし、ソ連崩壊が社会主義・共産主義の失敗を決定的に証明したあとは、もう資本主義打倒の動きは起こりえない。

 

であれば、もう福祉政策や失業対策に大きなリソースを割く必要はないということだ。

 

冷戦下の50年代から70年代は資本主義国の経済的繁栄が顕著で、日本の高度経済成長もこの時期だった。

 

この時期は国家による大規模な公共事業や手厚い社会福祉によって失業率は低下し、多くの労働者階級が豊かな生活を享受できた。

 

しかし、80年代前後にはイギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、日本の中曽根政権といった新自由主義的な政権が各国に誕生し、格差を拡大していったのだ。

 

 

「富裕層や企業を株高で豊かにすれば、トリクルダウンによって庶民も豊かになる」という理論で実行されたアベノミクスも象徴的だ。

 

庶民の懐を豊かにしたいのであれば、ベーシックインカムなり負の所得税なり、もっと低所得層を狙い撃ちした政策をすればいいはずだ。

 

それなのに「トリクルダウン」などという理論を持ち出してアベノミクスを実行したのは、現在の日本が労働者階級を手厚く守る必要がないことの証拠と言えるだろう。

他人の視点に立つ重要性

「歴史」とは、多様な話し手をもつ「物語」だ。

 

太平洋戦争についての日本の歴史観と中国・韓国の歴史観は違う。

 

そして、それはアジアだけでなく、アメリカでもヨーロッパでもアフリカでも同じである。

 

 

「立場が違えば歴史も違う」

 

他人の気持ちに立って考えること、他人の体験を追体験することをどれだけ繰り返せるか?

 

それによって歴史理解の深さは変わる。

 

 

当たり前のことのようで、実際にできている人はそう多くない。

 

日本の戦争番組にどこか自己憐憫がにじみ出ていることや、太平洋戦争で日本は正義だったとする歴史観を隠さない著名人が注目されることは、その証拠だろう。

 

 

知識やアナロジカルな考え方も重要だが、何よりも他者への共感が世界史を学ぶ上で必須な素養なのかもしれない。